経営講座「GAP導入で生き残れ」

安定経営を目指し、適正農業規範(GAP)に関心を寄せる農家が増えている。その仕組みや意義、導入手順について、解説します。 (この記事は、2009年9月25日から20回に亘って農業共済新聞に掲載されていたものです。)

【筆者のプロフィール】たがみ・りゅういち 1951年生まれ。茨城県関城町農協勤務などを経て、2005年に「日本GAP協会」を創設し初代理事長(2007年退任)。2008年に代表を務める晦GIC内に「GAP普及センター」を設立し、普及指導員や営農指導員へのGAP教育と生産現場へのGAP導入を指導している。2010年に「一般社団法人日本生産者GAP協会」を設立して理事長に就任。「日本GAP規範」を刊行し、「農場評価制度」を構築して、更なるGAP普及に努めている。

1 誤解の解消へ

(1)「まず真の意味を知ろう」

 GAP(Good Agricultural Practice)は「良い農業の実施」という意味で、1980年代からヨーロッパで使われ、1990年代には欧州連合(EU)で法制化された。「良い農業」と言う理由は、1960年ごろから「悪い農業」が行われるようになったからだ。

  第二次大戦後、ヨーロッパでも基盤整備や機械化が推進され、化学肥料や農薬の登場で農業の生産性は飛躍的に向上したが、生態系には悪い影響があった。その改善のため「良い農業の実施」が提案された。GAPは環境・資源の保全で農業の持続性を確保し、農業者・消費者の安全を確保しようという、いわば現代農業へのアンチテーゼだ。食品安全も考慮し、人と環境を守り、持続的な農業を確立するGAPの本当の意味を、まず理解すべきだ。

  正しい理解には、現代農業の問題点を明らかにした適正農業規範(GAP規範)が必要だ。日本では公的なものはまだないが、農業・環境に関係する法令やガイドライン、その他の農業指導書などがGAP規範に替わる。その規範を実際の農業生産の現場で守る農業者は「適正な農業管理」をしているといえる。このため筆者はGAPを「適正農業管理」と言う。

(2)「基本マナー守り実践」

 昨今、「農産物の有利販売にはGAPが必要だ」などといわれることがあるが、適正農業管理(GAP)は商品差別化の道具ではない。GAP農場の商品は人や環境に対して「悪くない」という証明にはなるが、他の農場と比較して優れた農産物であることを証明するものではない。

  GAPの「G」はGoodのことで、「良い」という意味だが、「より良い」とか、「最も良い」という意味ではない。農場などでの「悪いやり方」を改善したから「良い」ということだ。GAPの「P」は英語のPracticeの頭文字で、理論ではなく「実行・実施・実践」であり、「慣習、慣例、慣行、やり方」などを意味する。つまり農業者が日常行う農業の「行為」そのもののことだ。

  その「行為」が何らかの法令に違反していたり、知識不足などから環境を汚染していたり、または、うっかりして食品汚染につながったりすることは「悪い行為」で、不適切な農業である。この不適切さを改めた「悪くない行為」が「適正な農業の行為」(Good Agricultural Practice)である。従ってGAPは、農業者として当然の行為であり、欧州では「農業者が守るべき最低限のマナー」であると言われている。

  法令やガイドラインなどをまとめた「GAP規範(Code of GAP)」に基づいて作られたGAP実施の判定規則「GAP規準」に照らし、農業者の行為に不適切なところがないかどうかを確認(リスク検討)し、不適切な行為があれば改める(是正措置)ことがGAPの実施だ。そして、その行為を継続的に実施することが「適正農業管理=GAP」である。

(3)「農家必携【規範】早く」

 適正農業管理(GAP)を理解するためには、GAPの言葉の意味を正しく理解することが必要だ。

  これまでに、農業実践の「良い、悪い」を示すのが「GAP規範」であり、それは現代農業の何が問題なのか、どこが悪いのか、を明らかにしたものと紹介した。このGAP規範が守られているかどうかを判断するための物差しが「GAP規準」で、チェックリストとしても利用される。農業者の行為が「悪くない」と評価されれば、その農業者は適正農業管理、つまりGAPを実践しているということになる。

  日本では、GAPと言えばすぐにチェックリストを想像する人が多いようだが、その前にリストに書かれた内容とその背景を正しく知る必要がある。欧州では、政府が発行するGAP規範が農業者必携の書になっているが、日本ではまだ、日本農業の在るべき姿を示した公式のGAP規範はない。

  欧州のGAP規範に書かれたGAPの意義、目的やその根拠などを知れば、日本の農業者もGAPの必要性を感じ、「農業者が守るべき最低限のマナー」として取り組むだろう。「知らなかったこと」「今までの悪い癖」「ついうっかり」を直し、農業者が農業をずっと続けられるGAPが社会から求められている。

GAPの用語 英語の表現 概要 内容
適正農業規範(GAP規範) Code of Good Agricultural Practice 適正農業管理の思想 法令等、適切な農業生産の在り方についての基本的な考え方
適正農業規準(GAP規準) Control Point & Com-pliance Criteria of GAP 適正農業管理の尺度 適切な農業生産で求められる条件の審査基準体系
適正農業管理(GAP) Good Agricultural Practice 適正農業管理の行為 農業生産で行われる適切な行為とその継続的な実践

(4)「地域に合う規準を」

 日本には適正農業管理(GAP)を「生産者のために統一すべきだ」という意見があるが、その背景には、GLOBALGAPが世界の標準GAPだという認識がある。しかし、それは正しい理解ではない。

  GLOBALGAPは、EUREPという欧州小売業組合が運営するGAP認証制度だ。欧州では小売業の寡占化が進み、一握りの巨大小売企業が各国に店舗を持っている。各国が定めたGAP規範では自社の「仕入規準」として使いにくいため、小売業組合で認証規準を統一したのだ。その際に、各国のGAP規準の共通項目だけを取り入れている。その意味で、GLOBALGAPは欧州における「最低限の規準」と言える。

  そのことを示すように、EUREPGAP基準書の前書きには、「EUREPGAP規準は、加盟する小売業者が許容できる最低限度の規準である」と書かれ、「個々の小売業者にはそれ以上の規準を求めるスーパーや卸会社などがあり、その水準を満たしている農家がある」とも書かれている。

  GLOBALGAP普及の中心的役割を果している英国最大のスーパー「テスコ」でも、販売する農産物のほとんどがテスコのGAP(NATURE’S CHOICE)認証農場の農産物だ。このように商用GAPは、GAPを要求する企業の事業方針によって異なるので、多種・多数存在する。

  日本のGAPを考えるに当たっては、欧州各国が、それぞれの地域に相応しいGAP規範を確立していることに学ぶべきだ。北海道と九州・沖縄の農業はかなり違っているから、日本版GAP規範に準拠した地域のGAP規範、GAP規準があっても当然といえる。

(5)「理解のギャップ(ずれ)課題」

 適正農業管理(GAP)は「ハードルが高くて農家には協力してもらえない」と思っていたあるJAが、野菜部会で残留農薬事故を起こしてしまったのを契機に、生産者を集めてGAPの研修会を開催した。講師を依頼された筆者は、研修会に先立ち、JAの営農指導員に生産組織の取りまとめ状況や営農指導における安全管理の実態などを尋ねた。その結果、ある部会で、数年前から都内の大手スーパーと契約栽培を行っていることが判った。詳しく聞くと、この部会は、何とすでにGLOBALGAP規準の審査に合格していたのである。

  この部会では、JAの営農指導員が審査認証会社の指示に従って部会員の農場の改善を行い、部会全体のGAPを指導していた。その意味で、この生産部会は、すでに世界的水準のGAPを実践する農業者集団だったのだ。

  行政側はGAPを良く理解していないために「JAではGAPは無理だ」と考えて「簡略化したGAP」を勧め、GAPの指導を実践すべきJA側は「それでも農家には無理だ」と思っていた。ところが、当の農業者は「プロの農家として当然のこと」と思い、事実上の商用の世界規準と言われるGLOBALGAP規準を達成していたという、本当に笑えない話だ。

  たとえ農業者がGAPという言葉を知らなくても、GAPの本当の意味を理解すれば、すべての農業者にとってGAPの実践が可能なのだ。GAP指導では、「GAPを分かっていない人が、GAPを知らない人に説明している」という実態も指摘されている。このような初歩的な「GAP理解のギャップ」をできるだけ早く埋めていかなければならない。

2 欧州に学ぶ

(1)「農業政策として定着した最低限のマナー」

 生産したりんごをイギリスに個人輸出していた青森の片山寿伸さんに「2005年までにはEUREPGAPに取り組んで欲しい」というメールがイギリスから来たので、2003年8月に、筆者は片山さんとともにロンドン郊外の果物卸売会社のEWT社を訪ねた。ここで「水」、「土」、「空気」についての「安全管理のためのGAP規範」(1998)という3冊の本を渡された。欧州の全ての農家は、このGAP規範に示される基本に従って家畜を飼い、作物を栽培している。販売される農畜産物は、それによって消費者に信頼されているのだから、「欧州に農産物を輸出する日本の農家も、このGAP規範に従ってください」と言うのである。

  EU(欧州連合)には、過剰な施肥で地下水や河川などを汚染したり、化学農薬の使いすぎや誤った使用法で環境を汚染することを禁止する法律があり、違反者は厳しく罰せられる。農業による環境汚染も公害と同じように「汚染者負担の原則」の考え方なのだ。そのためにイギリス政府の「農漁業食糧省」は、農業による環境汚染を無くすための指導書として「GAP規範」を発行し、全ての農業者にその実施を義務付けている。GAPは即ち「農業者が守るべき最低限のマナー」なのだ。GAP政策は1990年代後半にはEUの各国に浸透し、2000年になると、欧州の大手小売業や小売業団体(EUREP)などが、GAP規範に適合しているかどうかを判定するための物指として「GAP規準」を作成し、ISO規格の検査会社による認証制度を始めた。日本でGAPと言われているチェックリストには、この「GAP規準」を参考にしたものが多いが、肝心の「GAP規範」を意識する人が少なく、公的なGAP規範はまだ作られていない。

(2)「【農業守る】伝えよう」

 農産物を低コストで大量に生産することは、「農産物の安全性」を確保する保証にはつながらない。「自然環境の保全」を保証することにもつながらない。また、農産物の大規模・低コスト生産のプロセスは「CO2の削減」も「生態系の保全」も意味しない。

  EUの共通農業政策では、農家への直接所得保障を行っているが、GAP規範に従うことをその要件としている。GAP規範の内容は、「環境保全、一般衛生、家畜衛生、植物防疫、動物福祉」に関する法令・規則などの遵守であり、現代の集約化された農業が、水、土、空気などの環境資源に与える負荷をゼロか、大幅に削減するための活動である。これらを「農家が守るべき最低限のマナー」とし、それに加えて「農業による環境や景観に対する貢献」を評価することで、持続的で健全な農業に対する国民的な理解を得ようとしている。

  GAPの目的は、持続的な農業生産システムを構築することであり、現代農業がもつマイナス面を補うための技術を体系化したものであり、持続可能で科学的な食料生産へのアプローチである。日本では、一般に「食品安全のためのGAP」と理解されているが、GAPの目的は「持続的な農業」であり、持続させるべきは自然環境と農業経営である。GAPの実践による健全な農業の結果として、安全性に優れた健康的な食品が作られる。そのため、GAP規範に従うことが、生産者が農産物に対して責任ある姿勢を持って臨んでおり、健康で魅力ある高品質の農産物を提供していることを示すことになるのである。

  世界中で環境や健康を守ることへの関心が高まっている。「GAPにより環境を保全することが、農業と農家を持続的にする」、このことを消費者に広く知らせる必要がある。

(3)「環境保全能力を向上」

 イギリス最大手のスーパーである潟eスコは、農家に対して独自に作成したGAP規準「ネイチャーズチョイス」に従うことを要求している。テスコは、消費者の高い理想と期待を満たすために、農家に対して、「国が定めたGAP規準に従って環境保全に努め、合理的な農業を実施すること」を求めた。具体的には、水・土・大気の保護のためにイギリス政府の「農漁業食糧省」が策定した3冊のGAP規範に従うことである。つまり、「ネイチャーズチョイス」は、農家の農業管理が持続可能な仕組みになっていることを審査し、環境への悪影響を少なくしていることを証明する規準である。この規準には、原材料やエネルギーの使用を減らす工夫をし、廃棄物を最小化し、環境に有益なら可能な限りリサイクルすることなども含まれている。

  潟eスコは、消費者に対して、この規準に従って生産した農産物は、「勤勉な農家により責任をもって作られ、環境汚染を減らし、環境に良い事を実施し、作業者の健康を維持している」ことを保証し、化学合成品を用いた資材も「合法的な使用」を保証している。

  このようなスーパー独自のGAP規準を補完する意味で、欧州小売業組合(EUREP)は、様々なGAP規準の共通部分を集めたEUREPGAP規準を作った。EUREPは、「消費者の信頼を得るために、小売業者が許容できる最低限度の規準である」と述べている。また、「EUや各国が定めるGAP規範の基本に従って認証制度の審査を行う」と述べている。EUREP GAP規準の内容は、「生産者の環境保全に対する能力を向上させるために、IPM(総合的病害虫管理)とICM(総合作物管理)を組み込んだ」と述べている。

(4)「GAPから統合農業や有機農業に進化」

 EUの共通農業政策における環境支払い(農家の所得保障)は、取組みのレベルが高いほど支払いが多くなる仕組みになっているため、農家の環境保全型農業への取組みを誘導するものになっている。そのため、環境支払いが有機農業への取組みの誘引にもなっているが、「有機農法だけが環境への便益となるGAPである」と考えると、農家のハードルが高くなるということで、GAP規範で規定する慣行農業と、有機農業との中間に位置する農業が支払いの主な対象になっている。

  フランスでは、非政府組織FARREが1993年に提唱した「合理農業」(AR:Agriculture Raisonnee)が、2002年に法律に基づく認証制度として創設された。合理農業の定義は、「農業生産の全過程で、環境、食品、農業労働者の健全・安全と動物福祉に配慮した生産技術と生産方法を用い、環境を重視した持続的な農業」とされている。

  このような環境保全型農業への取組みは1960年代に遡る。スイスに本部を置く非政府組織OILBによって提唱された「統合生産」(IP:Integrated Production)は、現在欧州各地に普及しつつある。統合生産は、「経済的な目的と消費者の要求に対応し、かつ環境に配慮する農業」と定義されている。

  合理農業、統合生産、環境保全型農業(IP農業と総称)は有機農業と違い、化学合成資材の投与を認めている。IP農業では、むしろ適切な農業管理のためには、有機資材より、含まれる成分の量や形態が明確な化学肥料の方が効果的であり、環境汚染物質の流出を減らす点においても、化学資材の方が環境保全的であるとしている。

3 実践のステップ

(1)「求められる生産者像は」

 GAPを実践する人は、@法令や規則を守り、A習慣になった悪い癖を止め、Bうっかりミスをなくすことに努める生産者である。

  @については、農業は自然環境に何らかの負荷を掛けることになるから、生産者は「環境基本法」の理念に従わなければならない。「持続性の高い農業生産方式の導入の促進に関する法律」は、これからの農業を方向付ける直接的な法律である。「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」や「家畜排泄物の管理の適正化及び利用の促進に関する法律」は、環境汚染を具体的に規制している。「農薬取締法」や「肥料取締法」は、「水質汚濁防止法」や「大気汚染防止法」と同じように、環境保全型農業のために重要である。食品取扱者としては、「食品衛生法」「食品安全基本法」などに従わなければならない。事業者に対しては、「労働基準法」「労働安全衛生法」「消防法」「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律」などの規制がある。

  Aについては、「法律や規則を知らなかった」から、「今まではとがめられることが無かった」から、「周りの誰もがやっていること」だから、「いつかは直そうと思っていたのだが」などと、習慣化していた野焼きや、厩堆肥の野積み、余った農薬の不法廃棄、水耕栽培の溶液の垂れ流し、保管庫以外での農薬管理など、当然、やってはいけないことは、すぐに止めなければならない。

  Bについては、「法令違反」や「悪い癖」をそのままにしていると、つい、うっかり失敗をしてしまいがちである。法制化された農薬使用の記録は、「誰かに報告する」ために書くものではない。農業者が、「適用作物を間違わない」ために、次回の使用時に「使用回数を間違わない」ために、収穫の際に「収穫前日数を誤らない」ために、自分自身の行動を管理するために記録するものである。

(2)「GAPは現状の問題点の指摘から」

 前回、「GAPで求められるのは、法令や規則を守り、習慣になった悪い癖を止め、うっかりミスをなくす努力をしている生産者である」と言った。しかし、生産者は、適正農業管理(GAP)を組み立ててから農業を始めるわけではない。すでに農業を行っているのであるから、その行為が適正(GAP)であることを明らかにするためには、今正に実践している農業管理に問題がないことを証明することである。

  つまり、GAPでは初めに、@「何が問題なのか」を認識することである。生産者自身が確認できなければ、指導者に「これが問題である」と指摘してもらう必要がある。次いで、指摘された問題点について、A「なぜ問題なのか」を知る必要がある。この時、問題であることの意味や根拠を確認する原点が「GAP規範」である。GAP規範は、関連する「法令や規則」などのほか、実施のための「ガイドラインや手引き」などとして明示されている。その結果、生産者が自分の農業行為が不適正であったことを認識すれば、当然、是正することになる。したがって、B「どうすれば良いか」を考えて、実行することがGAPで最も大切なことである。

  その際に、是正すべきことが、例えば「農薬保管庫がない」という単純なことならすぐに修正できる。しかし、「殺虫剤・殺菌剤の使いすぎで土壌の生態系が劣化しており、その補正のために投入した大量の牛糞堆肥の窒素成分を考慮しないで化学肥料を投与した結果、硝酸態窒素による河川や地下水の汚染を引起している」という点を指摘されたとすれば、その問題の是正を判定することは簡単ではない。

  GAPの指導者は、GAPの審査員のように、@不適正のポイントと、Aその理由を示すだけではなく、Bどのようにすれば問題を解決でき、適正農業管理(GAP)になるのかを的確に指導しなければならない。

(3)「3つの安全 押さえて」

 適正農業管理(GAP)の実践のポイントは、農場管理の中で「何が問題なのか」調査し、「なぜ問題なのか」を知り、「どうすれば良いか」を考えることである。これらを重点的に実施するためには、押さえるべき「3つの安全」がある。環境と人、動物に配慮する実践であり、安全な農産物を安定的に供給し続ける使命を持った農業活動の3大要素でもある。

  第一は生産手段の安全である。当然のことであるが、農業は生産手段を持たなければできない。それは、農地と土壌、水と水域、種子・種苗、肥料・農薬などの「労働対象」と、農舎と設備、農業機械、運搬車両、パソコンなどの「労働手段」である。いわば、農業を行う上での前提条件であり、これらの生産手段の安全をすべて確認する必要がある。管理のポイントは「リスク評価」である。

  第二は生産工程の安全である。作物の種まきなどから収穫までの狭義の農業生産工程管理であり、農作業そのものの安全管理である。それらは、肥料・農薬の取り扱いの安全であり、人や動物への配慮である。配慮のポイントは環境保全と農産物の安全で、適切な管理を実施するためには「正しいGAPの認識」と「日頃の実践トレーニング」が重要で、実施規則に基づいた計画的な管理が必要である。

  第三は食品取扱の安全;「農作物」は、収穫した瞬間から「農産物」になる。消費者に供給する商品としての食品であるから、生産者は食品事業者としての衛生管理が求められる。その内容には、収穫と輸送の安全、選別・調製の安全、保管・取り扱いの安全、商品そのものの安全などがある。危害分析重要管理点(HACCP)に基づいた管理がポイントになる。

(4)「GAPはリスク評価から」

適正農業管理(GAP)で押さえる3つの安全
生産手段の安全
前提条件管理
(リスク評価)
生産工程の安全
生産工程管理
(実施規則)
食品取り扱いの安全
商品取扱管理
(衛生管理)
圃場(土壌)の安全
 重金属、難分解性有機
 化合物、農薬残留 水(灌漑水)の安全
 硝酸塩、アンモニア、リンなどによる富栄養化カドミューム
種や苗の安全
 遺伝子組換え
肥料や農薬の安全
 登録確認、ラベル確認
施設や設備の安全
 構造、素材、レイアウト
圃場やハウスの安全
 土壌への汚染、水への汚染、危険作業、作物への配慮
 汚染、危険作業、作物への配慮
農薬・肥料取扱の安全
 正しい取扱と保管、微生物・野生動植物の安全、地下水・河川の安全、残処分、正確な記録
人と作物の安全
 飛散防止、病原微生物への配慮、機械・器具取扱の安全
収穫と輸送の安全
 リスクの検討と削減の対策(手順の実行)
選別調整保管の安全
 リスクの検討と削減の対策(手順の実行)
保管と取扱いの安全
 温湿度・品質管理、トレーサビリティ管理、取引き情報管理
商品の安全
 食品衛生、品質管理、残留農薬検査

 GAPで押さえる「3つの安全」の第一は生産手段の安全であると述べた。つまり、農地や用水、農機具、農舎、肥料、農薬などの生産手段が、それぞれ適正な状態で管理されているかどうかを確認することである。生産工程でどれだけ注意深く管理したとしても、前提条件としての生産手段に致命的な問題があれば、適正農業管理(GAP)が不可能になる。

  食品衛生法の改正で「ポジティブリスト制」が施行されてすぐに、無農薬で栽培したカボチャから残留基準値を上回るヘプタクロル類(有機塩素系の殺虫剤)が検出された。ヘプタクロルは1975年に農薬登録が失効してから使われていない。以前ビートの栽培などで使用されたものが土壌中に残っていたといわれている。有機塩素系農薬で、同じく75年に農薬登録失効したディルドリンが、30年以上経過した今、キュウリなどから検出される事例が度々報告されている。814カ所の土壌を分析した東京都の調査では約1割からディルドリンの残留が確認されたということである。

  日本には、全国各地に鉛、銅、亜鉛の鉱山や鉱床が多数ある。カドミウムは、鉱山や精錬所など人の活動によって環境中へ排出されたものや、その他いろいろな原因により河川の底に蓄積されたものなどが、水田の土壌に蓄積してきた。日本のコメのカドミウムの基準値は、食品衛生法に基づく食品規格基準として、玄米には、1.0ppm(1kgの中に1.0mg)以上含んではならないと定められている。しかし、世界的には0.4ppmが上限とされており、2009年10月に厚生労働省は、現行の1.0ppm未満から0.4ppm以下とする改正案を取りまとめた。

  私たちが長年に亘って耕作してきた畑も田んぼも水も、食品を生産する手段として問題が無いかどうか、改めて確認してみなければならない。

(5)「間違いを起こさないための記録」

 JAグループが推進する生産履歴記帳運動は、「生産基準を作ってこれを着実に実施し、その記録を残し、収穫された農産物のトレーサビリティ(生産・流通の履歴を追跡・遡及する仕組み)を確保し消費者に情報公開する」ものであり、今や全国のJAに定着した。

  しかし、それでも残留農薬事件は起こる。例えば、基準通りに農薬を使用して記録した圃場の春菊から、使用していないネコブ線虫の農薬「カズサホス」が検出されて流通停止となった。調査の結果、その夏に栽培した茄子に使用したラグビーMC(カズサホス)の残留であることが判った。茄子の栽培基準とその履歴記帳も適正に行われていたそうであるが、そもそも茄子を収穫した跡地に春菊を作付けたなら、圃場の農薬使用記録は連動していなければならない。

  記録すること自体が「目的」になってはいけない。何のために生産履歴を記録するのかといえば、第一番に、それ以降の行為で自分自身が間違いを起こさないための「備忘」である。

  ミニトマトから「いもち・もん枯れ病」予防の農薬が検出された例もある。水稲育苗ハウス内で使用した粒剤の農薬が大量に地面に残ったまま、同じハウスでミニトマトの栽培をしたために起こった事件である。この場合も「記録は適正に行った」とのことであるが、ミニトマトを栽培するに当たってハウス内の農薬使用記録を確認していない。これでは何のために記録しているのか判らない。もはや記録することが目的になってしまっている。

  GAPでは、生産基準を守ってそれを記録する前に、生産者が行う最も重要なことがある。自分の生産活動に問題が無いかを確認(リスク評価)することである。上記の2つの事例は、考えてみれば誰でも分かることなのに、長年行って慣習になっていたので何の疑問も持たずに実施して、その結果事件になったのである。

(6)「農薬使用では再確認を」

 2003年に農薬取締法の一部改正が行われ、生産者も違反すれば新たに処罰の対象となった。同年に定められた「農薬を使用する者が遵守すべき基準を定める省令」によれば、農薬使用者の責務は、@農作物等への害、人畜への危険を及ぼさない、A土壌の汚染による農作物等で人畜に被害を出さない、B水産動植物の被害を発生させない、C公共用水域の水質の汚濁により人畜に被害を出さない、こととされており、具体的には、農薬のラベルをよく読んで守ることが義務付けられている。

  適正農業管理(GAP)の現地指導で生産者に尋ねると、「登録農薬を確認し、希釈倍数も、総使用回数も守っている」とラベルを良く読んでいることを強調するが、ラベルには、その他に様々な「安全使用上の注意」が書かれている。

  例えば、ほとんどの農薬のラベルには、「空き容器は圃場などに放置しない、3回以上水洗して洗浄水はタンクに入れる」などと書かれている。また、「眼に入った場合には直ちに水洗する」と書いてあるが、噴霧器と一緒に圃場に「水筒を持参していますか」。「散布では吸収管付き防毒マスクを着用する」と書いてあるのに、「粉剤・液剤用マスクを使っていませんか」。作業後は直ちに手足や顔を石鹸で洗い、うがいをして衣服を交換しなければならない。また、「衣服は他のものとは別に洗濯・保管する」とも書かれている。

  農薬の保管は、「密栓して、火気をさけ、食品と区別して、陽に当たらない冷涼な場所で、保管庫に鍵を掛けて保管しなければならない」とされていますが、そのような「農薬保管庫がありますか」。そこでは「農薬が漏出した場合は砂などに吸収させて回収する」のですが、「砂は準備してありますか」。

  ラベル内容のうち、「効果・薬害の注意」は読んでも、「安全使用上の注意」を読んでいない生産者が、残念ながら非常に多いのが実態のようです。

(7)「農業は拡散汚染源になる」

 作物が吸収できる以上の栄養成分を施肥していませんか? 肥料のやりすぎは、地下水や河川・湖沼などを汚染する大きな原因になっている。環境省が発表した全国の地下水汚染状況(2007年調査)の「環境基準超過井戸が存在する市区町村図」を見ると、全国の主要な農業地帯では、硝酸性窒素及び亜硝酸性窒素で環境基準(10mg/L以下)を超過している井戸が多数確認されている。

  硝酸性窒素・亜硝酸性窒素は、肥料や家畜糞尿、生活排水などに含まれるアンモニウム塩が酸化されたものであり、作物に吸収されずに残った土壌から溶出して地下水を汚染しているのである。地下水だけではなく、圃場表面のほんの少しの土壌流亡でも、窒素やリンが河川や湖沼に流れ出して富栄養化し、自然の多様性が失われ、人への健康被害の可能性を増している。

  環境基準は、人や動物の健康を保護し、生活環境を保全するために維持しなければならない基準である。基準超過の原因が肥料の過剰投与によるということは、これまでの農業のやり方に問題があるのだから、硝酸塩による汚染を起こさない適正農業管理(GAP)が必要である。

  ヨーロッパでは、農業者が硝酸塩で環境を汚染しないように様々な法的規制があり、汚染者負担の原則で、違反すれば処罰される。日本では、他産業の事業者に対する環境基準の規制はあるが、農業による硝酸塩汚染には規制が無い。

  生産者一人一人の汚染は大したことで無いように見えるが、地域一帯に広がる圃場から、少しずつではあるが長年に亘って地下浸透して、地下水が環境基準を超過してしまったのである。一人一人の生産者、一枚一枚の畑は「拡散汚染源」なのである。汚染は発生源から断たなければ改善されない。土壌診断に基づいた適切な施肥計画と肥培管理が、環境保全を目標とするGAPで求められる最も重要な管理点である。

(8)「生産現場でのリスク管理」

 連載12回目に、安全な農産物を安定的に供給し続ける使命を持った農業活動の管理ポイントを、@生産手段の安全、A生産工程の安全、B食品取扱の安全であると紹介した。@Aは環境と人や動物に配慮した実践であり、Bは食品安全の実践である。

  生産者は「農産物」を収穫した瞬間から、食品事業者としての衛生管理が求められる。その内容には、収穫と輸送の安全管理、選別・調製の安全管理、保管・取扱いの安全管理、商品そのものの品質管理などがある。食品安全のためには、危害分析重要管理点(HACCP)の考え方に基づいた管理がポイントになる。予め重要と思われるポイントを明らかにしておき、その対応方法を決めて、ルール化し、重点的に管理するやり方である。

   GAP普及センターでは、農場管理で考えられる様々な状況の事例や食品汚染の可能性の事例とその問題解決法が書いてある「リスク評価表」に、自身の農場管理の実態を書き出して貰い、これを元にリスクの検討・評価をして貰っている。評価表の項目は、@作業手順、A作業内容と汚染対象、Bリスクの有無、Cリスクの種類、Dリスク有りの場合の対策(実施済みまたは予定)である。すべての項目に事例が書いてあるので、生産者は自身の農場に該当するものを選ぶだけでリスク評価とリスク改善計画ができる。

  農場での衛生管理3原則は、@入れない、A増やさない、B取り除く、である。化学物質、病原菌、異物などの食品の危害要因を生産現場に持ち込まないこと、そのためには危害要因を農産物に接触させないように管理することが重要である。病原菌は、一定の水分と一定の温度の中では急激に増殖する可能性がある。増殖させない衛生的な環境整備が必要である。しかし、もしも危害要因が入ってしまった場合は、取り除くか、取り除けない場合は農産物そのものを廃棄しなければならない。

4.日本のGAP普及の基盤

(1)「日本独自のGAP規範が必要」

 一般に行われているGAPの指導では、生産者にチェックリストを配り、「生産者が自分で逐一チェックして、PDCAサイクルを廻して経営改善に役立てる」ことを推奨している。また、配ったチェックリストを回収して、記入者数を計算し、GAPの普及率を決めるという。この方式を数年繰返してみて、GAPの推進に疑問を持った関係者は少なくない。

  チェックリストの内容も問題である。「肥料は、栽培基準等に基づいて適正な量・方法で施用しましたか」という項目に、ほとんどの生産者は○をつけて提出している。聞けば、「×では出荷できない」という正直な答えではあるが、それは「チェックリストの意味を認めていない」ということだ。

   問題意識を持った都道府県で、生産者にGAPを分かりやすくするために「農場管理規則」を作った。ところが、ここでさらに大きな壁に突き当たっている。その規則を正当化する「日本のGAP規範」がないことだ。そのため流通業界の取引き規準である「認証規準」を参考にしている例が多い。しかし、認証はそもそも「GAP規範」を遵守しているかどうかを確認するための「物指し」なので、これでは本末転倒である。

  日本で参考にされているグローバルGAPの認証規準は、EUおよびその加盟各国の法令等を遵守していることを確認する「物指し」である。すなわち、欧州のGAP規範の順守を評価するための「物指し」なのである。

  健全な日本農業のためには、日本の法令や社会習慣、気候風土と農業形態を前提にして体系化した「日本のGAP規範」を構築しなければならない。欧州のように、EU共通のGAP規範の上に地方政府が独自の項目を加えていることを参考にすれば、日本も国としての共通GAP規範に各県の独自部分を加味することも考えられる。いずれにしても「日本のGAP規範」がなければ日本農業のためのGAP普及は始まらない。

(2)「指導者の養成を急げ」

 欧州連合(EU)では、1999年に「欧州営農指導補償基金による農村開発への助成規則」を制定し、2000年には加盟各国で、生産者に対する農業技術情報サービス(農業技術員制度)が始まった。生産者は、地域の農業技術員による個別指導に従って適正農業管理(GAP)に取り組み、環境保護、食品安全、動物福祉、作業者の安全などを実践することになった。農業技術員の報酬の半分は、EUからの補助金で賄われている。

  この技術員が事実上のGAPの指導とGAPの支援、そしてGAPの検証を行なっている。このようなシステムが新たに整備されたことにより、初めて全ての農家のGAPの実施が可能になっているのである。今では、この農業技術員制度のもとで、GAPで求められる具体的な技術、例えばICM(総合作物管理)、IPM(総合病害虫管理)などが適切に指導されている。

  スペインのアンダルシア政府は、2005年に「IP(統合化農業)認証制度」を開始している。EUの新たな農業政策の転換点が2005年である。EUは、「GAPは生産者の行う最低限のマナーである」として、農家への直接支払(環境支払)を「GAP以上の行為に限る」と決めた。この決定を背景にして、ヨーロッパ小売業組合(EUREP)では、GAP認証のない生産者からは農産物を購入しないことを決めたのである。

   欧州の農家は「経営規模が大きいからGAPが出来るのだ」という意見もあるが、イタリアでも、スペインでも、果樹や野菜の農家は家族経営が多く小規模である。このような農家が、農協や農業会社に登録して集団で農業技術員の指導を受けて認証を取得し、農産物を販売しているのである。GAP規範や審査規準を作っても、実践の指導をしなければGAPが普及しないことは欧州の例からも判る。家族経営型が圧倒的に多い日本農業では、農家にGAPを個別指導する指導者が不可欠である。

(3)「経営確立を動機に」

 これまで、@日本の公的なGAP規範(適正農業規範)が必要なこと、AGAPの指導と支援・検証を行う指導者の養成が必要なことを提案した。最後に、BGAP実践へのインセンティブになる「農家経営の確立」を提案する。

 日本は、明治維新後も、戦後も、慌てて欧米流の社会をモデルにして様々なシステムを創ってきた。しかし、法律でも、体系だけを急遽輸入し、それを支えている社会の常識や生活者の習慣などは全く無視されてしまったために、実際の社会との落差が生まれた。明治維新ではそれらが典型的に現れている。幕府や藩の法体系は、その土地の文化や習慣、暮らしの常識によって築き上げられていたが、それでは国際社会に通用しないので、慌ててイギリスやフランス、ドイツなど当時の先進諸国の法体系だけを急遽輸入したのである。

  GAPの導入も同じで、長い年月を掛けて築いてきた日本農業の基本となる「日本のGAP規範」は準備せず、欧州のGAP認証制度の言葉と体系だけを急遽輸入して慌てて推進したために、EU型の「GAP認証規準」と日本の「農業現場」とが乖離して大きな矛盾が生まれている。

  欧州のGAPの普及は、EU共通農業政策における農家への直接支払いが最大のインセンティブになっている。それらが、環境保護を重視する欧州市民の農業への期待と重なって、納税者負担と消費者負担が可能になり、EU域内の生産者のGAPの実践を支えているのである。 経済原則に任せて、農産物を低コストで大量に生産するということは、「自然環境の保全」を保証することにはつながらないし、むしろ逆行することにもなる。「食品の安全性」を確保する保証にもつながらない。また、

  その過程において「CO2の削減」も「生態系の保全」も意味しない。「人間の安全と自然環境との調和」という人類永遠の課題への農業対策として、国を挙げてGAPに取り組むことが今必要になっている。